贅沢

ここ数年、仕事の関係で年末年始をヒシヒシと感じることのない生活を送ってきた私。
なので今年の年末年始の悲しみも、あまり増すことなく時間をやり過ごす感じなのかな、って思ってた。


それがさ、元ダンナ(同居してるけど籍はまだ抜いたまま)が
しこたま贅沢な食材を買い込んできたんだ。


カニ、しゃぶしゃぶ用のお高い和牛、有頭エビ、うに、中トロ…その他いろいろ。


長男と三人で貪った。
美味しかった。
と思うと同時に悲しくなって、涙が止まらなくなった。


元ダンナも長男も、涙の理由はわかっているからあえて何も言わないでいてくれてた。


もちろん私もその涙については何も言わず、ただ「おいしいね!おいしいね!」と
ひたすら食べた。
hも、きっと貪るように少し前かがみになって食べてくれただろう。


パパも悲しい気持ちを抑えて、アレコレと買い込んできてくれたんだろうな。


hくん、おいしかったね。


「父ちゃん、ありがと。」って聞こえたような気がした。


あ~、後片付け大変だよ~、h、手伝って~。。。

昨夜

やっぱりつらいよ、hくん。


昨夜、久しぶりにフラッシュバック。

hくんの横たわった最後の姿、顔、情景。


つらかったよね、ものすごく苦しかったよね。


会いたい。

頬をなでたい。

まだ赤ちゃんだったころに戻って、ずっと抱っこしていたい。

小学生だったころに戻って抱きしめたい。


温めてあげたい。


美味しいごはんとフルーツをたくさん食べさせたい。


美味しいコーヒー飲んでほしい。


なんて神様はいじわるなんだろう。

身体中が痛くなるほどつらいです。


おねがいです。せめて時間を戻してください。

冷たい

私はとても冷たい母親なのだ。
今日、信頼している友人から頼まれて、年賀状の作り方を教えた。
次男が亡くなった日からずっと、寄り添い、ただただ私の話を黙って聞いて、時には私を傷つけない言葉を選んで会話をしてくれた友人だ。
忙しい中、実に様々な配慮をしながら連絡をしてくれて、気晴らしに外へ連れ出してくれたりした。
時間の経過とともに私が元気な笑顔を取り戻していき、心の回復を感じたのか、ふと年賀状の会話になった際、PCでの年賀状の作り方を教えてほしい、とのことだった。
その友人も長男次男がいるが、さすがに二人とも成人しているし、飼い始めた猫の画像を取り込みたい、とのことだったので、抵抗なく、作業をして、自宅で印刷する手順を教えた。


なんの抵抗もなく作業していた自分。
そして今、明日の仕事についてアレコレ思考めぐらせている自分。


今朝起きたときは、辛かった。
hのいない現実。


しかし、
辛さを和らげるために元主人と長男の元へ戻った自分。
辛さを和らげるために日々の生活雑貨や洗剤、いい香りの柔軟剤などで贅沢をする自分。
そして友人に誘われて出かけたときは自分のマフラーや洋服を買う自分。
にうんざりする。


hのせいなのではない。
私が弱いのだ。
自分のことしか考えていない、冷たい母親なのだ。
私のような母親は、だれもいない寒いところで飢えて辛い思いをすればいい、と思う自分と、
親身になってくれる友人に「こんな自分にかまわないで。でも、連れ出してくれたおかげで身を切られるような辛さが少し和らいでいるのかな、ありがとう。」と思う自分もいる。


友人や周りの人の前では、笑ったり、明るく冗談も言ったりするのだけれど、
全然楽しくないのだ。
楽しくないのだが、↑のような他人の年賀状を印刷する手伝いをすることに何の感情も沸かず、辛くない。
今日は感情がない日だ。
感情がない日は楽なのだが、何がスイッチになるのか、わかっていなくて、そのスイッチが入ってしまうことが怖い。


hくんにもっと、暖かくておしゃれな服を買ってあげたかった。
美味しいものを一緒に食べてささやかな幸せを感じてほしかった。
楽しいテレビを見て一緒に笑いあう時間を、、、hの知らない外国や未体験なことを味わってほしかった…。


自分で自分の命を終わらせてしまうまで気づかず、hのことを信じ切っていた冷たい母親。


内容が支離滅裂だな。
よくわかんなくなっちゃった。ごめんね、hくん。

あした

明日はクリスマスイブ…そして年末を迎えて年が変わる。
去年の今頃、私はまだ単身で生活していてhは元主人のところで生活していたのだが
友達とワイワイ飲んだりしていたんだろうな。
私はひとりで仕事の資格勉強とか、友達と会ったりする程度で、普通に寝起きして特にイベントはしなかった。
長男もたぶん友達とワイワイしていた様子。
だから、”去年はこうだった”とかのhくんとの思い出はないけれど、
幼いころの思い出はたくさんある。
元主人が玄関でピンポーンと鳴らして、わたしが出て行って、
プレゼントを子供たちに渡しながら「サンタさんだったよー!」とか、
毎年いろんなバリエーションを考えて、プレゼントを渡していた。
去年だったか一昨年だったか、単身の私のところへ兄弟ふたりで遊びにきて
クリスマスの思い出を語り合ったときに
「実は幼稚園の頃から、サンタはいないことを知っていた」と兄弟ふたりから言われて
「えーー!?じゃあ、あれは騙されていたふりをしていたのーー?」って笑いあって。


幼いころから、人をおちょくる術というか日々の出来事を楽しむ余裕をもった子たちだった。


今年のクリスマス、特別なことはしないけれど、
hの好きなチキンは買ってくるからね。


今年は4人一緒だよ。
ネコちゃんたちにもネコ用ケーキ買ってくるから安心してね。

hくん、ごめんね。
今日は朝から辛い。
さみしい。声を聞きたい。顔を見たい。そばにいてほしい。
いない現実。受け入れたくない。


それでも朝ごはん作った。
食べた。
洗濯して干した。
猫ちゃんたちの相手もした。
mくん(長男)も朝ごはん食べた。
hくんにも食べてほしい。
胃がムカムカする。肩が重い。


気分が落ち込んでいるときに、今までいろんな人から言われた言葉が心に突き刺さる。
善意で言ってくれている、という前提で聞いた言葉に対して、自分の中にある刃がキラリと光る。
攻撃的で卑屈な考えになってしまう。

ご自身のお母さまが逝去された方からの言葉。
「一緒に十字架を背負って生きていきましょう。」

私のために涙を流してくれた友人からの言葉。
「前向きに立ち直ろうとしている人でないと、支えたくない。だからわたしはhiroloveを支えたいと思う。」

それぞれ発した言葉には、それぞれの背景があり、それゆえの言葉なのに、
まるで質の悪い週刊誌のように、断片的に言葉をとらえて、悪く解釈して自分を責め、他人を責め。
”立ち直る??なにそれ!前向き??"
”十字架??は??”
…という具合に。
心がきれいで真面目すぎたhに恥じないよう、これからの人生は、清くがむしゃらに生きると決めたけど、
誰にどんな目にあわされようとも、hがいない悲しみに比べたら、ちっぽけなものだから、一切気にしない、と決めたけど、へこたれそうだよ。
胸が苦しい。

また明日になったら考え方、変わるかな。
波が激しすぎるよ。h。ごめんね。こんなかあちゃんで。