冷たい

私はとても冷たい母親なのだ。
今日、信頼している友人から頼まれて、年賀状の作り方を教えた。
次男が亡くなった日からずっと、寄り添い、ただただ私の話を黙って聞いて、時には私を傷つけない言葉を選んで会話をしてくれた友人だ。
忙しい中、実に様々な配慮をしながら連絡をしてくれて、気晴らしに外へ連れ出してくれたりした。
時間の経過とともに私が元気な笑顔を取り戻していき、心の回復を感じたのか、ふと年賀状の会話になった際、PCでの年賀状の作り方を教えてほしい、とのことだった。
その友人も長男次男がいるが、さすがに二人とも成人しているし、飼い始めた猫の画像を取り込みたい、とのことだったので、抵抗なく、作業をして、自宅で印刷する手順を教えた。


なんの抵抗もなく作業していた自分。
そして今、明日の仕事についてアレコレ思考めぐらせている自分。


今朝起きたときは、辛かった。
hのいない現実。


しかし、
辛さを和らげるために元主人と長男の元へ戻った自分。
辛さを和らげるために日々の生活雑貨や洗剤、いい香りの柔軟剤などで贅沢をする自分。
そして友人に誘われて出かけたときは自分のマフラーや洋服を買う自分。
にうんざりする。


hのせいなのではない。
私が弱いのだ。
自分のことしか考えていない、冷たい母親なのだ。
私のような母親は、だれもいない寒いところで飢えて辛い思いをすればいい、と思う自分と、
親身になってくれる友人に「こんな自分にかまわないで。でも、連れ出してくれたおかげで身を切られるような辛さが少し和らいでいるのかな、ありがとう。」と思う自分もいる。


友人や周りの人の前では、笑ったり、明るく冗談も言ったりするのだけれど、
全然楽しくないのだ。
楽しくないのだが、↑のような他人の年賀状を印刷する手伝いをすることに何の感情も沸かず、辛くない。
今日は感情がない日だ。
感情がない日は楽なのだが、何がスイッチになるのか、わかっていなくて、そのスイッチが入ってしまうことが怖い。


hくんにもっと、暖かくておしゃれな服を買ってあげたかった。
美味しいものを一緒に食べてささやかな幸せを感じてほしかった。
楽しいテレビを見て一緒に笑いあう時間を、、、hの知らない外国や未体験なことを味わってほしかった…。


自分で自分の命を終わらせてしまうまで気づかず、hのことを信じ切っていた冷たい母親。


内容が支離滅裂だな。
よくわかんなくなっちゃった。ごめんね、hくん。