忙しいという字

今年から元主人の会社で働かせていただくことになった。
業務管理、経理管理の見直し、立て直しが必要なことに加えて
PCにおけるデータ管理やセキュリティの脆弱性がかなり高い環境なので
以前までIT系の仕事をしていたので、そちらの要員として採用してもらった。


PC導入時(15年くらい前なのかな)から専任の方がいるがご高齢なので
やがては後任となる予定。
データのほとんどはExcelで管理しているのだが、人の書いたコードというのは解読がたいへんだ。
スクリプトのほとんどをデバックモードで確認していく。
よくここまで作り上げたなあ、と思っていたら、実はほとんどがマクロ自動生成とのこと。
さすがにドメイン環境にするほどの規模と業種ではないので、不要かと思う。
しかしサーバーは置きたいと思う。
現行のExcelファイルたちも、かなーり古いバージョンに作られたものなので不具合もチラホラ。(他ブックとのリンクに問題あり)


見直す、備える、整える、などの課題がてんこ盛りだ。


仕事に加え、マンション管理組合の理事チームの当番が回ってきた。
春には姑も上京して居住するし、実父の介護の問題もある。


「忙しい」というのは本当に心を亡くすことなのか、と思った。


hくんのことを想い、弔う、という意識が薄くなっているように思う。
仕事帰りの道中は相変わらず悲しみが湧き出す。
ご飯は必ずhくんの分も用意する。
お花も欠かさない。


でも何かが違う。
忘れているわけではないのだが、私の心が変わってきてるような気がする。
実に不本意だ。


hくんのそばに行きたい。
hくんに会いたい。
hくんの思い出をずっと反芻していたい。


その想いと仕事の課題とで頭がおかしくなりそうだ。
以前のように頭は働かない。気力もない。
でも雇用していただいたからにはなんとかやりぬかないと、と思う。


つらい、つらいよ。hくん。